海外 イタリア 住めば都/sumebaのブログ

アレルギー性鼻炎・花粉症・自己免疫疾患・・・アレルギー体質で典型的なイタリア料理が食べられないイタリア在住ウェブデザイナー。主に食の話、ときどきイタリア観光

イタリア米の首都 ヴェルチェッリで日本人の口に合う米を探す ヴェルチェッリってどこよ?

こんにちは。sumebaです。

イタリア料理のイメージって、なんですか? パスタ、ピザ、フォカッチャなど小麦粉ベースの料理を連想しそうですが、北イタリアならばリゾット、南イタリアだったらスップリやアランチーノというライスコロッケが有名ですね。なんとイタリアにイタリアはもちろん欧州の米の首都と呼ばれるくらいの場所があります。小麦だけじゃないんですっ!笑。

 

日本人に馴染みのある米。筆者が暮らしている場所は、イタリア米の首都であるピエモンテ州ヴェルチェッリ県内で、まだ紹介していませんでしたので、今回はヴェルチェッリってどんな場所なのか、筆者目線でお伝えします。

ヴェルチェッリってどこ?

北イタリアのピエモンテ州ヴェルチェッリ県で、県都ヴェルチェッリはミラノとトリノのおよそ中間にあり、ミラノやトリノのどちらからでも高速道路や列車利用で1時間半くらいで行ける距離にあたります。県内には86のコムーネ自治体)があり、総面積は2088.12㎢、県南部に水田地帯が広がり、県北部はモンテ・ローザから流れるセージア川の上流部にあたる地域と、2つの地勢に分けられます。

筆者は、イタリア人の夫と知り合うまで、ヴェルチェッリ県のことは残念ながら知りませんでした。。ものすごい米好き米オタクでなければ、おそらく日本人の多くは知らないと思います。

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県南部の水田地帯は、こんな感じです。

ヴェルチェッリ県南部の水田地帯

ヴェルチェッリ県南部の水田地帯 筆者撮影

筆者の印象で言うと、日本でいう北海道のように果てしなくだだっ広い平野地で、集落から集落までの間はこういった畑があり、信号機なんてありません。夏場の夜には、小さいカエルが、水田の間にある道路をぴょこぴょこ横断しています。お米の販売もしてる農家付近には、野ウサギもいました。イタチみたなのもいたかも。イビスというトキ科?コウノトリ科?の鳥も水田のあちこちにいます。めっちゃ北海道みたいでしょ!?(北海道は鶴か!?)

空気が澄んでいる時、特に冬場の平野からはアルプス山脈が一望できます!アルプス山脈を見ると、やっぱりここはヨーロッパなんだなって感慨深くなります。笑。

冬場の晴れた早朝は、雪で白くなったアルプス山脈が朝日でピンク色に染まり、モンテ・ローザ以外もMonte Rosa(山がバラ色)状態になりとてもきれいです。ちなみにモンテ・ローザの名前の由来は、ここからきているらしいです。

住んでみると意外といいところですよ!笑。日本では見られない景色がたくさんあり、写真があればお見せしたいところです。

ヴェルチェッリの米の歴史

中世後期・ルネッサンス時代

ヴェルチェッリの米の歴史については、中世後期にさかのぼります。その1000年前の東アジア周辺が米の栽培起源であり、人々の間の文化交流の長い道のりでアラブ諸国を経て、ルネッサンス時代にはじめてイタリアのヴェルチェッリに到着しました。

ヴェルチェッリの米栽培は、13世紀以降すでに水田が存在していたようで、15世紀の最後の年に、今でいうロンバルディア州の地域に広範囲に起動に乗り出したころには、安定済み、17世紀にはすでに典型的な生産をしていたようです。

18世紀・19世紀

18世紀当時のサヴォイ王家は米栽培を促進しますが、水田で収益性の高い生産と当時流行したマラリアの原因が問題視され、一方では反対もしたようです。

1750年代ごろピエモンテ州の米栽培領地の4分の1がヴェルチェッリにあたり、さらに18世紀は作物、生産、流通の時代で、戦争によって悲惨な印象を残すようなことはありませんでした。

このため、1809年にフランス政府によって土地登録審査が進められ、1701年から1790年代の間に、水田で覆われた土地の面積は約25%から約8%に減少しましたが、1842年8月25日に当時の国王カルロ・アルベルトの同意を得て、農業を促進するうえで米栽培に新たな活動を与えられました。

その後、約10年間の渾身の努力のおかげで1860年にヴェルチェッリの水田は約3万ヘクタールに拡大し、1869年から1875年の間に米生産の投資は大幅に増加したようです。

20世紀・現代

1908年に初めてイタリア品種が選ばれ、1925年以降、新品種の創造と新しい栽培技術の開発が進みます。移植や米の収穫だけでなく、多くの労働力が必要となり、1950年代まで、春は数万人の人々、特に文化や映画*に影響を与えた季節労働者がヴェルチェッリの水田に貢献しました。

しかし、1960年代初頭に化学除草の導入と機械化の影響で、mondinaという田植えをする人々の姿は消えてしまいます。

現在は、伝統と革新が共存する分野のなかで、技術、農業、新しい品種開発が調和しているそうです。

*1949年制作のイタリア映画「にがい米」

まとめ

今回筆者自身が、初めて、ヴェルチェッリの米の歴史に触れ、ますますイタリア米に興味がわいてきました!笑。「にがい米」っていう映画も見たことがないのですが、気になります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

参考になれば幸いです。

※ヴェルチェッリの米の歴史をまとめるうえで参考にしたサイト

La storia del riso nel Vercellese - Strada del Riso vercellese di Qualità